調寛雅(しらべ かんが)プロフィール

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調 寛雅(しらべ かんが)プロフィール

 

・大正9年10月7日生 ・龍谷大学卒 ・浄土真宗本願寺派因通寺(佐賀県)

 第16世住職

・学校法人見真学園前理事長 ・タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼委員会主管

・財団法人慧燈財団理事長 ・NPO慧燈理事長

 

・大正9年10月7日 因通寺第15世住職調龍叡師の長男として生まれる。

・昭和16年、中学時代に共に自転車で通学した友人ハワイ真珠湾攻撃に出陣し軍神と

  なる。

 この頃小中学校時代の学友次々に戦場に赴き、戦死を遂げるもの数多く悲壮感極まり。

・昭和18年、学徒出陣に当たり、全国各大学の中より6名を選び、NHKが「学徒出陣の覚悟」 

 を放送するに当たり、その一人に選ばれJOBKより出陣学徒の決意を全国放送。

・在隊中同期のもの数10名秋津島にて出撃。台湾沖にて散華したのを聞き感痛恨。

・広島の原爆の日、夕刻広島に入り、遺体収集作業、戦争の酸鼻を知る。

・昭和20年秋、復員後、戦争罹災孤児救護教養所「洗心寮」開設。フィリピン、満州、台湾等

 の引揚孤児の救護と教養に当たる。

・昭和24年、昭和天皇の行幸を仰ぐ。昭和天皇孤児と語らい給い、いたく感動され御落涙し

 きりなり。

・昭和25年、昭和天皇の御製

 「みほとけの おしえまもりて すくすくと 生い育つべき 子らに幸あれ」を賜る。

・昭和40年年代を迎え、教育の危機を感じ、人間育成の原点が幼児期にあることを痛感し、

 昭和44年、学校法人見真学園を設立、見真幼稚園を設置し幼児教育に当たる。定員数40名。

 学級2組。その後定員180名。280名。320名。360名となる。

・昭和51年、基山幼稚園設置、定員80名。

・昭和50年初期、保利衆議院議長の提唱によって、皇后陛下御歌の百万人針安置のため、いつ

 くしみの塔を建立す。この完成に当たって、勅使として入江侍従長来臨さる。

 「命を大切に」の運動を展開する。

・昭和50年半ば、台湾沖バシー海峡55万戦病没者追悼法要を勤修。台湾各地で戦死した無名

 の日本将兵の遺骨約四百体を日本に持ち帰り、いつくしみの塔に納める。

・この頃台湾よりの留学生を支援する。

・平成元年、カンボジア難民慰問。そのときタイ、ビルマ方面戦病歿日本兵の遺骨の存在を知る。

・平成2年よりタイ、ビルマ方面戦病歿日本兵の遺骨の調査を始める。

・平成3年、タイ、ビルマ国境チェンマイ・バンガードに於いてタイ、ビルマ方面戦病歿者追悼

 法要を勤修する。

・平成5年、タイ、ビルマ国境チェンマイ・バンカートにタイ、ビルマ方面戦病歿者追悼之碑を

 建立する。この追悼之碑内に現地人の協力により、日本将兵の遺骨を収集して、約二万体、

 納骨する。また骸骨三体と、四八〇体の遺骨を日本に持ち帰り、いつくしみの塔内に安置して、

 供養を続ける。この頃タイよりの留学生を支援する。

・平成7年、現地に財団法人慧燈財団設立。現地生徒に奨学金の支給を開始する。

・平成9年、教育里親制度を設けて、平成10年より、北部タイとビルマの子供に奨学金の支給 

 をはじめる。

・平成14年、御門主様御染筆によるタイ、ビルマ方面戦病歿者追悼之碑大梵鐘建立。教育里親 

 制度による奨学金の支給、今尚埋もれたままの日本兵の遺骨の収集に精進する。

・平成18年、タイでの活動をSTSサガテレビが「魂魄の道を生きる」と題してドキュメンタリ

 ー放送される。

・平成19年1月骨折のため入院。1月30日午後6時52分自宅因通寺にてお浄土にお還りに

  なる。