タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑

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大 梵 鐘 ゴールデントライアング の追悼之位 トーペー寺の追討の脾 
7月のお参りと報告 −8月15日のお参りと報告− バーンガート中高校追悼之碑敷地内清掃

 

 

タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑が建立された経緯について

 

昭和16年12月に大東亜戦争勃発後、援蒋ルートの破譲及びインド独立を目指す

日本軍は、インド独立義勇軍と共にビルマに入り、当時イギリス領であったインド北東部の都市=インパールを占領すべく軍事行動を起こした。

 しかし、作戦は困難を極め死者7万人余り(一説には餓死者が10数万人)を出し、ついに昭和19年7月、この作戦は中止となる。その後日本兵は、タイ国メーホンソーン県からチェンマイ県への道を通ってビルマ(現ミャンマー)より撤退した。数多くの日本兵は、更にこの撤退の途中で亡くなり、遺骨や遺品などは撤退路に放置されたままとなった。

 

 当時、撤退の日本兵に対してタイの人々は暖かかった。食事を与えたり、負傷し傷つきマラリア等の病気に苦しむ日本兵には薬を与えたりした。日本兵も、彼らの村の農作業や子守り等すすんで現地の人を手伝った。そしていつの日からか、日本兵とタイの人々との間には、微笑ましい穏やかな友情が芽生えたのである。

 

それから年月は流れ激動の時代だった昭和から平成へと年号も変わり、日本人の誰もが、先の大戦の事など忘れて太平の享楽にふけっていた。 

平成元年、カンボジア難民慰問の帰りに佐賀県の僧侶及び遺族の一行はチェンマイ県を訪れた。その時会ったタイの老僧よりこんな言葉が一行に投げかけられた。

「ここにはまだ多くの日本兵がねむっている。」「あなた達日本人はそれを省みようともしない。」「そんなあなた達日本人は人間か!」

老僧の言葉を聞き終えた後、偶然一行の中にいたインパール作戦の参加者が涙ながらに語りだした。

「最初は遺体に土を掛けて通った。」「次は遺体をまたいで通った。」「最後には遺体を踏み越えて通った。」と。

この事がきっかけとなり僧侶と遺族関係者で慧燈財団を設立し、この地に眠る日本兵の遺骨収集活動を開始した。

 

チェンマイ県メーワン郡バーンガート サンカヨーム寺の裏にあった井戸(現在バーンガートウィタヤーコム校の敷地)から多くの遺骨が発見されたいう事から、慧燈財団は平成5年、バーンガートウィタヤーコム校に敷地を借り、その井戸の上に山下徳夫元厚生大臣による揮毫「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」の題字をいただく追悼之碑を建立した。

そしてその後の遺骨収集活動で発掘された約18千名の日本兵・軍属・関係者の遺骨を納め追悼を続けている。

 

この地に一人でも多くの日本人が訪れ、祖国の弥栄の為に命を賭して戦争の中で散っていった英霊を偲ぶ事が、ここに眠る18千名の勇士に対するなによりの追悼になるのではないだろうか。

 

−大 梵 鐘−

 

平成元年より遺骨収集活動を始めてから今日まで多数の遺骨を発掘収集してきた慧燈財団ですが、発掘されずに軍歌「海ゆかば」の一節のごとく草生す屍となって今もジャングルや湿地帯等のどこかで眠っておられる戦歿者の追悼供養を考えた時、大梵鐘の鐘の音にて追悼供養を行 うことに思い至り、この大梵鐘を建立することになりました。

 

 京都の岩沢梵鐘製作所が鋳造したこの大梵鐘は青銅製で高さ1.5メートル、重さ1.5トンあり、平成9年から寄付を呼び掛けて平成13年に建立されたもので、チェンマイ県メーワン郡バーンガート中高校内にあるタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑が建立されている敷地内の鐘楼に安置されております。

 

 梵鐘には、戦後、調前理事長の自坊である佐賀県因通寺に設置された戦争罹災孤児引揚養護施設「洗心寮」を昭和天皇が行幸された際、戦争罹災孤児との対面に感動さ れ皇居にお戻りになった後に賜りなされた御製「みほとけの おしえまもりて すくすくと 生い育つべく 子らに幸あれ」が刻まれております。

 

昭和天皇の御製をいただく梵鐘は世界に二つだけですが、一つはこのタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑敷地内に安置されたもので、もう一つは前述の因通寺に安置されております。

 

 また浄土真宗西本願寺派御門主の揮毫による「南無阿弥陀仏」の称号と、元遺族会会長橋本龍太郎元首相の揮毫による「安らかに」の言葉が刻まれているという点からもこの梵鐘がどれだけの価値があるものか推して量るべきでしょう。

 

MAP

 

 

−ゴールデントライアングルに建立された追悼之位

 

ゴールデントライアングルを見渡せる小高い丘の上にあるプラタートプーカオ寺の境内に、慧燈財団は木製の「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之位」を平成3年に建立しました。その後、平成16年には老朽化した木製の「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之位」から大理石製の石碑に建て替え、ビルマを望むこの丘から文字通りタイ・ビルマで亡くなった日本兵士の追悼慰霊を行っております。

 

   尚、この追悼之位には保利耕輔元文部大臣の揮毫による題字をいただいております。

 

 

 

 

ト ー ぺ ー 寺 に 建 立 さ れ た 追 悼 之 碑

 

 

 大戦末期から終戦後にかけて旧日本陸軍の特に龍兵団の兵士達がビルマのケマピューを通ってメーホンソーン県クンユアム郡トーペー村に撤退してきました。

 

 彼らはトーペー村にあるトーペー寺にしばらくの間駐屯し傷ついた体を癒し静養に努めたそうです。

 

 しかし、ジャングルや河を越えて撤退してきた兵士達の多数はマラリアや赤痢などの病気に侵されており、この寺の境内で次々と亡くなりました。その兵士の数およそ200名と聞きます。

 

 目の前で次から次にと亡くなる日本兵士達の鎮魂の為に、当時の住職は後日寺の境内に仏塔を建てました。そのパゴダは今もタイ・ビルマ国境近くにあるトーペー寺の中央にそびえたっています。 

   

 この日本兵士と関わり深いトーペー寺の境内に慧燈財団が建立した木製の追悼之碑があり、毎年慧燈財団の関係者が訪れ追悼供養を行っております。

 

 この木製の追悼之碑の脇には旧日本陸軍のトラックの荷台が安置されており、往時の面影を今も偲ばせております。

 

毎年7月のお参りと報告

 

 

7月は大東亜戦争に於けるインパール作戦の中止命令が出された月です。

 

毎年7月中旬、僧侶と慧燈財団関係者で構成された日本からの一団がバーンガート中高校敷地内に建立されたタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑前で、献花・焼香および読経を行い、先の大戦で亡くなった全戦病歿者の追悼供養を行います。

 

当日はチェンマイ在住の邦人有志も参加され、年々参加者の数は増え続けております。

 

ご関心ある方は是非ご参加ください。

 

 

 

−8月15日のお参りと報告−

 

8月15日は日本人にとって特別感慨深い日であります。

 

毎年8月15日、チェンマイ在住の日本人有志がバーンガート中高校敷地内に建立されたタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑前に集まり、献花・焼香を行い、日本時間の正午に合わせて鳴らす大梵鐘の梵音を合図に黙祷を捧げ、先の大戦で亡くなった全戦病歿者の冥福をお祈りします。

 

 

 

−バーンガート中高校追悼之碑敷地内清掃活動報告−

 

 

 初代バーンガート中高校校長セリー スワンナペット氏は、同校に通う貧しい学生に対する慧燈財団の奨学金援助のお礼として、奨学生が追悼之碑敷地内の清掃活動に参加し維持管理に努めることを申し出されました。

 

 現在、毎週金曜日の午後2時30から4時までバーンガート中高校に在籍中の奨学生と慧燈財団職員によって清掃活動が行われております。

 

 尚、奨学生による清掃活動は自由参加形式となっており、約10名程の奨学生が毎週参加して敷地内の清掃を行っています。